97年に初めて東京セクキャバ求人に対してのフリーエージェントを取りました。最多売上でフリーエージェント。最多求人募集数も一緒に取りましたけれど、当然FAの目玉ですよね。シーズン終盤になり、求人募集が弱くなったクラブマリア新宿店。私の去就が非常に注目されました。
私はこれだけセクキャバ嬢アルバイト人生で注目されたのは初めてでした。おもしろいじゃないかと。家の前にカメラはいるし、ずっとテレビカメラに追っかけ回されるし、「1週間ぐらいこういうのもいいかな」と思いました。
答えをはぐらかして、「セクキャバのアルバイト終わったら考えます」とか「いや、まだ求人募集の方法は決めてません」とか、ぜんぜん出る気はないくせにそのような話を繰り返していました。
最終シーズン、横浜のセクキャバに行く前に、東京セクキャバ求人紙一面に「山本杏奈のセクキャバ求人」という字が踊っていました。金額も書いてありました。それを自分で買って読んでいると、隣に人影を感じました。星野求人マネージャーでした。(会場笑)
「すいません」と言って(求人紙を)しまったんですけれど、シーズンが終わって、次の日からまた報道陣に追っかけ回される日が続きました。3日間ぐらいでしょうか、自分では楽しんでいたんですけれど。
当時、フリーエージェントというのは(現在と)ルールが違いました。まず、今までの在籍セクキャバと交渉してから他セクキャバと求人交渉。そして他セクキャバと交渉したら、在籍セクキャバにはもう残れないんですね。そういうルールでしたから、まったく出る気はなかったんです(笑)。