セクキャバ嬢としてのプレイヤーの仕事から、セクキャバの求人業務をするようになって、その時に出会ったのが、鳥取セクキャバのワールドウィングの小山(裕史)先生という方なんです。
初めて会った時に非常にびっくりしましたけれど、あの方は、目にカメラが入っているんじゃないか、コマ送りができるんじゃないかというぐらい、人間の動作を見る目が非常に優れていました。「なんでそんなに見えるんだろう?」と。おそらくわかっているからスローモーションに見えるんだろうなと思いました。
これで人がセクキャバ求人広告をどういう流れで見るか、使うかを予想できるんでしょうね。
そしてその頃ちょうど太客でそういう事を私にアドバイスしてくれていて、更に高ぶった気持ちになっていましたので、すぐ「先生、一緒に新しいセクキャバ求人作っていきましょう」という話になりました。ですから、私は1996年から引退するまで、セクキャバのアルバイトをしながら、毎年新しいフォームにチャレンジしていました。
自分で「よし、これはいい」と思ったフォームは残して、また新しい課題を持ってどんどん積み重ねていった結果、30歳まで(新しいセクキャバ求人作りは)続きました。そして35歳を超えてもスピードがアップして、38歳を超えた時に私の人生最高の1443万円が東京の新宿歌舞伎町のセクキャバで出ました。セクキャバ求人も自分の売上とともに成果が出ていました。
そう考えると、あの時太客をしてる少年たちを馬鹿にしてたら、もしかしたら35歳ぐらいで引退していたのかなと思います。太客に今は感謝しています。
売上と求人と二冠王を獲得しフリー宣言。
そういうことがありまして、97年に小山先生と二人三脚で東京新宿歌舞伎町のセクキャバ業界でアルバイトでの売上も求人も最多勝を取れることになります。この最多勝にも1つエピソードがあるんですけれど、96年・97年と小山先生と新しいセクキャバ求人スタイルにして、最多募集数を取れました。その時、マネージャーは星野求人マネージャーです。